福岡地方裁判所 昭和61年(ワ)3300号 判決 1991年12月13日
原告
江上武幸
右訴訟代理人弁護士
稲村晴夫
同
上田国廣
同
小澤清實
同
美奈川成章
同
古屋勇一
同
椛島修
同
徳永賢一
同
名和田茂生
同
中島繁樹
同
原田直子
同
福島康夫
同
藤尾順司
同
松岡肇
同
矢野正剛
同
平田広志
同
宇治野みさえ
被告
福岡県
右代表者知事
奥田八二
右訴訟代理人弁護士
前田利明
同
森竹彦
右訴訟復代理人弁護士
三ツ角直正
右指定代理人
中ノ森稠基
外一名
主文
一 被告は、原告に対し、金五万円及びこれに対する昭和六一年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する訴訟送達の日の翌日である昭和六一年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一本件は、弁護士である原告が、警察官から収賄事件につき任意の取調を受けている被疑者の妻から依頼を受けて被疑者の弁護人となろうとする者の立場で右被疑者との面会を求めたところ、右事件の捜査主任官等から違法に面会を拒否されたため弁護権の侵害により精神的苦痛を被ったとして、被告に対して、国家賠償法一条一項に基づき損害の賠償を求めるものである。
争いのない事実及び証拠によって認められる事実による本件の事実経過は以下のとおりである。
1 昭和六一年一〇月初め頃(以後の月日の記載は、すべて昭和六一年のことである。)、福岡県警察田川警察署(以下「田川署」という。)に福岡県警察本部捜査第二課の応援を受けて、福岡県田川郡方城町の町議会の議長の不信任決議をめぐる贈収賄事件の捜査本部が設けられた。右捜査は、田川署刑事課長のO(以下「O刑事課長」という。)を捜査主任官、福岡県警察本部捜査第二課特捜班長のT警部(以下「T警部」という。)を捜査補助者としていたが、捜査の具体的指揮はT警部に委ねられていた。(証人O及びTの各証言)
2 田川署は、一一月二一日に、当時の方城町長N(以下「N町長」という。)を右事件の被疑者として、町長室及び同町長自宅の捜索・押収を行った外、同月二五日及び同月二九日の二回にわたって同人に対して任意の取調を行った。
N町長は、右捜索・押収を受けた翌日である一一月二二日、角銅立身弁護士(以下「角銅弁護士」という。)を弁護人に選任した。
なお、右第一回めの取調は、同月二五日午後一時半頃から弓削田派出所において行われたが、角銅弁護士は、N町長と面会するため、同日午後六時三〇分頃、田川署に赴いたところ、O刑事課長は、N町長がどこで取り調べられているのかを明らかにせず、待ってくれとの対応に終始し、同日午後九時頃になって、N町長が田川署にはいないということを明らかにした。その後、福岡県警察本部のK次長から角銅弁護士に対して電話があり、N町長がどこにいるかは明らかにできないが、電話で話すことはできるというので、角銅弁護士は、N町長と電話で話をしたところ、その段階では取調は間もなく終わるとのことであり、その後N町長は、同日午後九時三〇分頃に帰宅した。
第二回めの取調べは、田川署の職員寮において同月二九日午前一〇時頃から午後四時頃まで行われた。また、一二月七日には、検察官によるN町長の任意の取調べも行われた。
右贈収賄事件については、一二月一一日に、関係者に対する公訴の提起が行われたが、N町長に対する公訴の提起はなされなかった。(証人N、同T及び同角銅立身の各証言)
3 しかしながら、前記取調の過程でN町長に対して、方城町発注の公共工事をめぐる贈収賄事件の嫌疑が生じたことから、O刑事課長、T警部らは、一二月一二日深夜、N町長を翌一三日の早朝から赤池派出所において取調べることに決めた。(証人O及び同Tの各証言)
4 同月一三日午前七時頃、N町長は、田川署から来訪した二人の刑事に同行を求められ、右刑事に同行して赤池派出所に向かった。右に際し、N町長は自宅を出るまで赤池派出所が行き先であることは知らされておらず、同人の家族に対しても行き先は告げられなかった。(証人Nの証言)
5 N町長の取調は、赤池派出所において、同日午前八時頃から、福岡県警察本部捜査第二課のF警部補(以下「F警部補」という。)を主任とし、田川署Mを補助者として開始され、同日午前九時から同一〇時までの朝食休憩、午後一時過ぎから同二時過ぎ頃までの昼食休憩、午後五時から同六時頃までの休憩をはさんで午後一〇時頃まで行われた。(証人N及び同Tの各証言、弁論の全趣旨)
6 原告は、同日午前八時過ぎ頃、N町長の妻からN町長が田川署に連行された旨電話で連絡を受けた。そこで、原告は、同日午前九時過ぎ頃、田川署に電話をかけたところ電話交換手がでたので、N町長の事件で担当者と話をしたい旨告げると、知能犯係に回され、電話の応対にでたのがT警部であった。原告は、T警部に対して、N町長の連行の有無及び同人が逮捕されているのかどうか確認したところ、同警部よりN町長を連行しているが逮捕はしていない旨の確認が取れたため、原告は、同警部に対し、昼頃田川署にN町長の面会に赴く旨伝えた。(原告本人の供述)
7 原告は、同日正午頃、田川署に到着し、直ちに知能犯係にT警部を訪ねたが、同警部は不在であったので、署長室に赴き、署長と思われる人物(実際は、警務課長であった。)に名刺を渡し、N町長と面会させて欲しい旨求めたところ、右人物(警務課長)より刑事課へ案内された。しかし、刑事課長は火災現場の捜査に出ており不在であったため、原告は、刑事課の部屋で刑事課長の帰りを待つこととした。(争いのない事実)
8 同日午後〇時一五分ないし二〇分頃、O刑事課長が原告の待つ部屋に戻ってきた。原告は、O刑事課長とは顔見知りであったので、同課長に対し、N町長との面会を求めるとともに、同町長との面会については知能犯係のT警部に事前に連絡済みであることを告げた。
さらに、原告は、O刑事課長に対して、N町長は逮捕されているのか任意同行なのか、被疑者であるのか参考人であるのか、さらに逮捕状の有無について質問したところ、O刑事課長から、N町長は被疑者として任意同行しているとの確認を得たが、逮捕状の有無については答えられないとのことであった。そこで原告は、O刑事課長に対し、任意同行であるのなら直ちにN町長と面会させるように求めた。(争いのない事実)
9 原告から右のような申入れを受けて、O刑事課長は、刑事課の部屋を出て別館二階の捜査本部に行き、T警部に対して、原告が来署してN町長との面会を求めているので、同町長の意思確認の手配をするよう伝え、再び刑事課の部屋に帰った。
引き続き同部屋で待っていた原告は、戻って来たO刑事課長に対し、午後から別の要件があるので、早くN町長と面会させるよう求めた。これに対して、O刑事課長は、面会の段取りはしたからこちらから連絡するまで待ってくれと答えたので、原告は任意同行中の被疑者の面会については警察から指示されるものではない旨説明してさらに面会を要求したが、O刑事課長は会わせる時期が来れば会わせるのでこの場は帰ってくれとの対応を繰り返すばかりであった。
右対応の過程で、原告は、O刑事課長はN町長と弁護人との間の面会につき決定権を有していないのかもしれないとの危惧を抱き、同課長に対して、課長の一存にて返答できないのであればしかるべき責任者に会わせるよう要求したが、O刑事課長は右権限は自分にある旨答えた。
そこで原告は、O刑事課長に対して、課長の立場上すぐ会わせられないということであればどの位待ったら会えるか問い質したところ、O刑事課長の答えは、どれ位待ったらいいかということは言えないということであった。なおも、原告は、O刑事課長に対して、一〇分か二〇分程度であれば待つ意思のあることを伝え、何分待てばいいかを再三問い質したが、O刑事課長からはついにはっきりした答えは得られなかった。
やむなく原告は、O刑事課長に対して、このまま面会ができる時間がわからないまま待つということであれば午後の予定をキャンセルしなければならないので、同課長自らがN町長に原告が会いに来ていることを伝えて、今会う必要があるかないかのN町長の意思を確認するよう求めたところ、O刑事課長は、原告が来ていることは担当者に伝えてあるのでN町長の意思は担当者から連絡が来ることとなっている旨答えた。
しかしながら、原告が右連絡はいつ来るのかと質問したところ、O刑事課長の返事はわからないとのことであった。
そこで、原告は、午後の予定をキャンセルしてもN町長と面会できるまでこの場を動くつもりのないこと、長時間待たせるようなことでもあれば、弁護権侵害を理由に福岡県及びO刑事課長に対して国家賠償請求訴訟を起こすつもりである旨O刑事課長に伝えた。その後、O刑事課長は、原告に対し格別の説明をすることなく刑事課室を出て、再び別館二階の捜査本部に赴いた。原告は、O刑事課長がN町長の意思を確認に行ったものと思い、課長席前の椅子にかけたままO刑事課長の帰りを待った。(証人O、同Tの各証言、原告本人の供述)
10 一方、O刑事課長が前項記載の当初に捜査本部を訪れた際、同課長から原告とN町長との面会を手配するよう依頼されたT警部は、赤池派出所に電話をかけ、電話口に出た派出所員に対し捜査本部まで電話するようにとのメモをN町長を取調中のF警部補に渡すように指示した。数分後、F警部補から捜査本部に電話があり、T警部が取調の状況について確認したところ、F警部補は、現在重要箇所を聞いており、それさえ終わればすぐ昼食休憩をする予定である旨述べたので、T警部は取調が一段落するまで長くても三〇分かからないと考えて、原告がN町長に面会に来ているので取調が終わったらN町長にそのことを伝え同人の意思を確認の上折り返し電話するよう指示した。しかしながら、同日午後一時頃になってもF警部補からの電話はなかった。
なお、その間同日午後〇時四五分ないし五〇分頃、O刑事課長は、再び別館二階の捜査本部を訪れ、T警部に対し、赤池派出所からの連絡がないかどうかを尋ねるとともに、N町長に原告が面会のため来署していることだけでも早く伝えるよう依頼した。(証人O、同Tの各証言)
11 同日午後一時〇一分になり、O刑事課長が刑事課の部屋へ戻ってきたので、原告はN町長の意思はどうであったかと聞いたところ、O刑事課長の答えは、担当者に伝えてあるので担当者から返事があることになっている、返事がいつになるかはわからない旨の従前と全く変わらない回答であった。
原告は、これまでのO刑事課長の対応から、このままではいつまで待たされるかわからないと判断し、O刑事課長に対して、改めて弁護権侵害による国家賠償請求訴訟を提起するつもりである旨伝えたところ、同人がどうぞと答えたため、その場から退室した。(<書証番号略>、原告本人の供述)
12 原告が田川署をでた後、O刑事課長は直ちに捜査本部に行き、T警部に原告が帰った旨を伝えた。これを受けて、T警部は赤池派出所のF警部補と連絡をとったところ、同人は、取調をちょうど終えて、これからN町長の意思を確認するところであるとのことであったので、T警部は、原告が帰ったのでN町長の意思の確認は不要である旨伝えた。(証人O及び同Tの各証言)
二争点
本件の争点は、左記のとおりである。
1 原告は、田川署においてN町長との面会を求めた際、N町長の妻の依頼によりN町長の弁護人となろうとする者の地位を有していたと言えるか。
2 O刑事課長及びT警部は、違法に原告の弁護権を侵害したと言えるか。
(一) 原告の主張
弁護人または弁護人になろうとする者の任意取調中の被疑者との面会権は、憲法三四条前段、刑事訴訟法(以下「刑訴法」という。)三〇条、三九条一項により保障されている。そして、右面会権は、身柄拘束中の被疑者に対するものと異なり何らの制約がないから、弁護人ないし弁護人となろうとする者から面会を求められた捜査機関としては直ちに面会ができるよう必要な措置をとらなければならない。以上の観点から、本件においては、左記のような違法な弁護権の侵害が存する。
(1) T警部は、原告から前記一6記載のとおり電話による面会申し出を受けた際に、原告はN町長が田川署において取調べられており、N町長と面会するためには田川署に行けばよいと誤解していることを知っていたのであるから、N町長が田川署ではなく赤池派出所において取調を受けていることを告知し、面会する場所や時間を確認する等して、具体的な面会の実現のために必要な措置を講ずるべきであったのに、N町長が田川署ではなく赤池派出所で取り調べられていることを明らかにせず、また、原告が田川署に行くまで原告とN町長との面会のための準備を全くしていなかった。
(2) O刑事課長は、原告から田川署において面会の申し入れを受けた時点で、同町長が赤池派出所において取調を受けていることを知っていたのであるから、原告とN町長との面会(直接の面会のみならず、電話によりN町長と原告とが連絡しあう等の方法も含む。)を直ちに実現するための段取りを決め、これに基づき赤池派出所の取調担当官に必要な措置を講ずるように指示すべきであったにもかかわらず、右措置をとらなかった。
仮にO刑事課長は、捜査体制上、直接赤池派出所の取調担当官に対して指示することができなかったとしても、同人は、原告がその権限の有無を尋ねたときに、これを明らかにするとともに、捜査の責任者であったT警部に対し、原告からN町長との面会の要求がなされていることを伝え、T警部から赤池派出所の取調担当官に対し直ちに原告とN町長との面会ができるような措置を講ずるよう図るべきであったにもかかわらず、O刑事課長は、原告によるN町長との面会の要求に対し、直ちに面会させようとせず、N町長の意思を確認しているがその結果がいつわかるかは分からないという曖昧な態度に終始した。
(3) T警部は、O刑事課長を通じて原告からN町長との面会要求がなされていることの連絡を受けた時点で、直ちに赤池派出所の取調担当官に対し、その旨連絡し、直ちにN町長との面会を実現すべきであり、少なくとも、F警部補から電話があった時点で取調は中断していたのであるから、直ちに面会させるべきであったにもかかわらず、これらの措置をとらなかった。
(二) 被告の主張
(1) 任意同行中の被疑者に対する弁護人ないし弁護人となろうとする者の面会権については、憲法及び刑訴法に何らの規定もなく、また、任意同行中の被疑者は身柄の拘束を受けていないから何時でも取調を拒否して退出することにより弁護人の援助を受けるための手段を自ら取ることができるから、弁護人に面会権を認める必要もなく、かかる権利は現行法上認められていない。したがって、O刑事課長及びT警部には違法な弁護権の侵害はない。
(2) 仮に法的権利として任意同行中の被疑者に対する面会権が認められるとしても、これは即時無条件のものではなく、捜査の必要性との調整を要するものであり、捜査機関としては相当な時間内に面会が実現されるようにすれば足りる。そして、O刑事課長及びT警部は、相当な時間内における面会実現のために必要な措置をとっている。
すなわち、前記一の9、10及び12の如くO刑事課長は、当日午後〇時二〇分頃原告からの面会申し入れを受けた後捜査本部に行きT警部にその旨を伝え、T警部は、これを受けて赤池派出所でN町長を取調中のF警部補と連絡をとり、間もなく取調が一段落つき昼食休憩に入る予定であることを確認の上、同人に対して、原告がN町長に面会に来ているので取調が終わったN町長にそのことを伝え同人の意思を確認の上折り返し電話するよう指示した。そして、原告が田川署を去った午後一時少し過ぎころT警部が赤池派出所に連絡したところ、F警部補は取調を終えてこれからN町長の意思を確認しようという状況にあったのであり、原告がそのまま待っていればN町長の意思如何によってはその時点で面会が可能であったのであるから、相当な時間内における面会が可能な状況にあったと言える。
(3) さらに、原告の主張(1)については、原告は、T警部との電話のやりとりの中で、自己が誰からの依頼によるどのような法的地位にあるのかを明らかにしておらず、また、面会に来る時間も「お昼頃ないし昼過ぎ」という極めて抽象的な告げ方しかしておらず、右電話をもって面会の申し出とみることはできず、せいぜい面会申し出の準備行為としての意味しかないから、原告の主張は理由がない。
また、原告の主張(3)については、N町長の取調は、複数の捜査官が担当しており、F警部補がT警部に電話をかけてきた時点においても取調は中断していないのであるから、その前提を欠く。
第三争点に対する判断
一争点1(原告はN町長の弁護人となろうとする者の地位を有していたか)について
1 証人角銅立身及び同N町長の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、一一月二一日、N町長は、自宅及び方城町役場の町長室が田川署による捜索を受けたことから、方城町との間で顧問契約を締結していたこともあり以前から親しく交際のあった角銅弁護士を翌二二日弁護人に選任していたこと、角銅弁護士は、一二月一三日から一四日まで結婚式に出席するため佐世保に行く予定があったが、それまでの捜査の経過に照らしN町長に対してさらに捜査が及ぶことも予想されたため、角銅弁護士の事務所で働いていたことがありN町長とも面識のある原告に対し、N町長が警察に逮捕される等した場合には対処してほしい旨の依頼をするとともにN町長に対しても、留守中のことを原告に頼んでおいた旨予め話していたこと、一二月一三日午前八時過ぎに、原告は、N町長の妻から、電話で、同日早朝にN町長が田川署に連れていかれたので至急同町長と面会してほしい旨依頼され、これを受けて原告は、同町長に面会するため田川署に赴いたことの各事実が認められ、これらによれば、原告は、弁護人選任権者であるN町長の妻の依頼によりN町長の弁護人となろうとする者の地位を有していたとみることができる。
2 なお、原告本人尋問の結果によれば、原告は本件当日までN町長の妻と面識があったか否かについて記憶がなく、また、本件訴訟を提起するまで同人の氏名を知らなかった旨供述しているが、これらのことは、原告と同人との交際が、N町長を通じてのものであったため、原告にとってみれば依頼者がN町長の妻として認識されていたという事情を示すにすぎず、依頼者の特定は十分できていたと考えられるから、前記判示を覆す事情であるとは考えられない。また、同尋問の結果によれば、原告は、結局N町長と面会できなかったことをN町長の妻に報告していないことが認められるが、これとても原告の弁護人となろうとする者の地位を否定するものではありえない。
二争点2(O刑事課長及びT警部の違法な弁護権侵害行為の有無)について
1 憲法三四条前段は、何人も直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留・拘禁されることがない旨規定し、身柄拘束されている被疑者に弁護人依頼権を保障している。刑訴法三〇条一項は、右憲法の趣旨をさらに進めて、被疑者一般に対しても弁護人依頼権の保障を拡張している。これらの規定による弁護人依頼権の保障は、単に形式的に弁護人に依頼する権利を与えるのみならず、弁護人による実質的な弁護を受ける権利をも保障しているものと解される。
このように、法が被疑者一般に対して、弁護人による実質的な弁護を受ける権利を保障している以上、被疑者と弁護人ないし弁護人となろうとする者(以下「弁護人等」という。)との間の面会・打合せの自由が確保されることがその当然の前提となっており、これは被疑者の権利であるとともに弁護人等の弁護権の重要な内容をなすものというべきである。けだし、弁護人としても、被疑者との面会・打合せを自由に行えるのでなければ、被疑者に黙秘権等の権利の内容を十分に理解させるとともに、事件の内容、被疑者の言い分を直接聴取し、適切な助言を与え、被疑者に有利な証拠の収集に備えるといった弁護活動を行うことができないからである。そして、以上の理は、被疑者が身柄拘束中であると否とで変わりはないものと言うべきである。刑訴法三九条一項は、身柄拘束中の被疑者に対してのみ、弁護人等のいわゆる接見交通権を定めているが、これは前記のような面会・打合せの自由が弁護権の内容をなすことを前提とした上で、身柄拘束中の被疑者は逮捕、勾留の効果により外界から遮断されることから、特に接見交通権という形で規定を置いたものと解される。
以上を前提として、任意取調中の被疑者の弁護人等が面会の申し入れをした際に捜査機関のとるべき対応について検討する。
刑訴法は、被疑者の任意の取調を捜査方法として認めており、これが捜査において重要な意義を有していることは否めないところであり、捜査機関の求めに応じて任意の取調を受けている被疑者については、弁護人等の面会・打合せとの間の調整が必要となるが、刑訴法上被疑者の任意の取調がその開始・継続を被疑者の自由な意思に全面的に依存していることに鑑みるならば、面会と取調のいずれを優先させるかも被疑者の意思に委ねられているものと解するのが相当である。そして、弁護人等から被疑者との面会の申し出がなされたことは被疑者にとって捜査機関の取調になお継続して応ずるかどうかを決定するにつき重要な事情であるから、すみやかに被疑者に取り次がれなければならないものと解せられる。すなわち、任意取調中の被疑者の弁護人等から面会の申し出を受けた捜査機関は、弁護人等との間で面会についての協議が整えば格別、そうでない場合は取調中であってもこれを中断して、すみやかに右申し出を被疑者に取り次ぎ、その意思を確認しその結果を弁護人に伝えなければならず、被疑者が面会を希望する場合にはさらにその実現のための措置をとらなければならないものと言うべきである。
2 これを本件についてみるに、前記一に判示のように、(1)一二月一三日午後〇時一五分ないし二〇分頃田川署刑事課室において、原告がO刑事課長に対しN町長との面会の申し出をしてから原告が同署を退去した同日午後一時過ぎまでの約四五分間のO刑事課長の対応は、原告に対し、面会の段取りはしたので同課長ないし捜査機関側において連絡するまで待てとの態度に終始し、特に原告が同日午後からは他に所用がある旨を申し出ているにもかかわらず、原告と協議して面会時間の調整をしようともせず、このため、原告は、何時になったらN町長との面会が実現できるのかを全く知ることができなかった。(2)O刑事課長から面会申し出がある旨の連絡を受けたT警部は、原告との協議や承諾を得ることなく、捜査機関側の捜査の進行上の都合のみから、F警部補によるN町長の取調が一段落するのを待って同町長の意思確認や原告との面会を実現すればよいと判断して、原告から面会の申し入れがなされていることをN町長に速やかに伝える措置をとらなかった、ものである。そして、原告は、O刑事課長やT警部の右のような対応の仕方から、早期にN町長と面会することは期待できないものと判断して、田川署を退去するに至ったものであり、原告の言動にも触発されて当日のO刑事課長と原告とのやりとりがやや感情的なものとなった面があることは否めないものの、しかし、前記一に判示の当日の原告と捜査機関側との対応の経緯を総体的に考察すると、原告がO刑事課長の対応の仕方から、同課長には、原告とN町長との面会を早期に実現する意思がないものと判断したこともやむをえないものがあるといわねばならない。
右O刑事課長及びT警部の措置は、任意取調中の被疑者につき弁護人等から面会の申し出がなされた場合に捜査機関が遵守すべき前記1に判示の義務に違反する違法なものであり、右両名には過失があるものというべきである。
三以上によれば、被告は国家賠償法一条一項により原告の被った損害を賠償すべき責任があるところ、前記に認定した一切の事情を斟酌すると、原告が弁護権侵害により被った精神的苦痛に対する慰謝料としては五万円をもって相当と認める。
(裁判長裁判官湯地紘一郎 裁判官永野厚郎 裁判官片山憲一)